改めて、コーチングを語ってみる

コーチングに出会って10年になる。

コーチングを習得するには様々な方法があると思うが、私の場合、初めからスクールなどでガッツリ学んだ訳ではなかった。師事したコーチから意味も意図も告げられることなく出された『宿題』を訳も分からずこなし、「(宿題ができたので)プロコーチとして認定しましょう」といきなり宣言され、「??????」とあまりに意味不明で怖くなり、しばらく真逆にある『アドバイスする』ことを仕事にしてコーチングから離れてみたりもして、「アドバイスでは人は動かない」と大きな気づきを得てコーチングに戻った、という経緯がある。
※結果的に、自分で動いて自分で気づき学ぶことに至った、という意味では、そのコーチには感謝している

そこから、コーチング一色になった。スクールの認定コーチとなり、クライアントに対し、コーチングを『教える』『伝える』ことをしながら、『学んでもらう』『体感してもらう』『気づいてもらう』ことを繰り返し繰り返しやった。スクール内に多々起こる『タダ働き』も率先してやった。それらは一見、コーチングに関係なさそうなことに見えても、自分の成長に繋がると信じて、ひたすら頑張った。コーチ仲間からも「どうしてそこまでやるの?」と言われるほど、大いにやった。結果的にそれらは全て私の経験値になった。あれがなければ得られなかったものが、たくさんある。

スクールのコンテンツにやりにくさを感じるようになると、その時、その相手に、一番大切で、一番伝えるべきだと思うことを、自分の言葉で、自分の表現で伝えるようになった。気づいた時には、自分でコンテンツを作るようになっていた。そして独立した。

コーチングも、いろんな流派?があるのかな。正直なところ、そんなものはどうでもいいと思っている。
※流派を否定しているのでなく、大切なことはそこじゃないから囚われない、ということ

だって、コーチングって本来、『クライアントの感情に寄り添いながら、クライアントが本当に辿り着きたいと思っている真の目標を確認し合いながら、一緒にゴールに向かうこと』だから。『型』なんかにはめられるものではないし、ましてや『セリフ』とか『台本』なんて、ナンセンス。(そういうのをコンテンツと勘違いして、「コーチングって簡単にできる」という人が意外に多くいて、心底ガッカリすることがある)

いや、もしそこから入ったとしても、その先で、きちんとクライアントの感情や違和感などをしっかり感じ取れるのならば、全く問題はないと思うけれど。
※もちろん技術は必要で、それらを磨き続ける努力はするべきだと思っている

何よりも大切で、忘れてはならないことは、コーチはあくまでも黒子(クロコ)的な役割であり、クライアントが『真のゴール』に辿り着くよう、サポートする存在だということ。

そのために、私は、これまで培ってきたものと、もともとある自分の特性をフルに活かし、クライアントに伴走していこうと決めている。クライアントに選んでいただき、大切なお金をいただくからには、さらにさらに経験値を高めていく覚悟でいる。

10年以上関わってきても、それでも「自分はまだまだ」と満足など到底することなく、永遠に学び続けられるものに出会えたことは、私にとって幸せなことだと心から思っている。

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