派閥とリーダーシップの関係性

このところ、『派閥』というワードを聞かない日はないかもしれません。この言葉の響き自体に、何やらダークなイメージを感じてしまうのは、私だけではないと思います。

もともと派閥の意味は、『ある集団のなかで、出身、資格、利害、主張、好悪などを共通にする者が、集団全体の動向に影響を与えるために形成した小集団』なのだそう。

同じ考えや目的などの人が集まっただけなら、『チーム(共通の目的のために活動する集団)』や『コミュニティ(共同体)』などと呼んでもいいのではと思うのですが、政治の世界ではそうはいかないようです。

派閥には、どんなメリットがあるのでしょう。

◉党の中で存在感を示すことができる
◉自分の居場所ができ、孤独でなくなる
◉外部の攻撃から守ってもらえる
◉自分の主張が補完され、発言力や影響力が強化される

誰しも一人で闘うのは心許ないでしょうから、互いに協力し合える仲間の存在はとても貴重です。

ただ、その結束力を強化したり、仲間意識を強固なものにするために、水面下ではあらゆる策が講じられ、それはしばしば表面化してしまう。そのほとんどがマイナスなものであるために、『派閥』という言葉そのものにネガティブな印象がついてしまう、といったところでしょうか。

こうした『派閥』は、政治の世界だけでなく、どこにでも存在します。お父さんがお勤めの会社でも、子供達が通う学校や習い事でも、お母さんが付き合わざるを得ないご近所さんやママ友コミュニティでも。3人寄れば派閥ができると言われるように、人間関係には自然と派閥は生まれるもの。人は一人では生きていけませんから、当たり前の自然の摂理なのでしょう。

ここで、『派閥』を、リーダーシップの観点から考えてみます。

『派閥』には、『強い誰か』と『強い誰かに群がる人』がいます。派閥に所属する人たちは、選挙を勝ち抜いてきた地域のリーダーのはずです。それなのに、そのリーダーたちは、リーダーの集合体である『派閥』という集団に入ると、途端にリーダーシップを発揮できなくなっているように見えます。

リーダーシップは、リーダーだけが発揮するものではありません。組織の目的に向かって主体的に動けていることが、『リーダーシップが発揮されている』という状態ですから、何も組織のリーダーでなくても良いわけです。それなのに、『強い人に群がる人』たちのリーダーシップが発揮されないのは、とても残念な現象です。中には純粋に、国の未来のためを思ってリーダーシップを発揮している人がいるのかもしれませんが、ほとんどの人に別の目的や思惑のようなものを感じてしまうのは、私にバイアスがかかっているからでしょうか。

リーダーシップが発揮される環境には、心理的安全性があることが必須です。しかし、政治の世界では、(当たり前なのかもしれませんが)きっと誰もが心理的安全性を感じてはいないでしょう。心理的安全性は、コミュニケーションが質高く保たれ、信頼関係ができて初めて成り立ちます。つまり、結局のところ、リーダー達がリーダーらしくリーダーシップを発揮するためには、それぞれのコミュニケーションの質をあげていくことが、本質的な基本だと思うのです。

そうやって本当の意味で『強い派閥』となり、派閥同士が影響し合い、刺激し合っていけば、政党自体も策略抜きで強い組織になり、国民の支持も受けやすくなるでしょう。そんな政党のリーダーであるならば、国の真のリーダーになる、と私は思っています。

理想論でしょうけどね。

でも、国が示す教育方針や『社会人基礎力』なるものは、『主体性』がキーワードです。その国を動かすリーダー達が、リーダーシップのお手本を見せてくれたら、この上ない説得力があると思いませんか。

リーダーシップはもちろん、ほとんどの問題や争いごとの根っこは、突き詰めていけばコミュニケーションに行き着くと思います。緊急性の高い問題処理には優先的に取り組みつつ、それと並行して、コミュニケーション能力(=相手の感情を掴み、受け止められる力)を上げていくことを重要視し、長期計画で教育改革を本気で取り組んでくれる人が国のリーダーになってくれたら、、、日本の未来に希望が持てるようになると本気で思うわけです。

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