先日、ある方から、「非言語コミュニケーションはとても大事だが、人間を人間たらしめているのは言葉、言語である。例えば、感情を表す語彙や表現を持っていればいるほど、思いは伝わりやすくなる。という観点から考えると言語化能力こそが対人コミュニケーションの基本ではないかと思うが、あなたの見解はどうだろう」という問いをいただきました。
本当におっしゃる通りで、私も言語化能力は、とてもとても大切なスキルだと思います。
日本語には、同じ意味の言葉でもいろいろな表現の仕方があり、ニュアンスによって使い分けられますが、これはもう語彙力と感性によるものが大きいと思います。
◉泣く→号泣、啼泣、慟哭、嗚咽、咽び泣く、忍び泣く、感泣する
◉笑う→微笑、苦笑、爆笑、嘲笑、含み笑い、照れ笑い、泣き笑い、思い出し笑い、作り笑い、愛想笑い
同じ言葉でも、意味合いや印象、動作の加減などが違っており、同じではありません。
例えば、
「彼が泣いていた」
この一言では、どういう泣き方だったのかは想像しにくいものです。
けれども、
「彼が嗚咽していた」
と言われたら、少しニュアンスが伝わるかもしれません。
さらに、
「彼が目を充血させ、顔から首、耳まで真っ赤になって、背中を丸くして全身を振るわせ、声にならない声で嗚咽していた」
ここまで言われれば、かなりイメージしやすくなります。
これらは目で見たものを表現したものであり、ちょっと訓練すれば、比較的誰もが上達しやすいテクニックだと思います。
難しいのは、自分の考えていること、また、誰かからノンバーバル(非言語)で受け取ったものを言語化することです。
確証がないものの、なんとなく感じる、言葉にならない違和感や、嬉しいはずなのに素直に喜べない、とか、理由は見当たらないのに気分が乗らない、というような、表現することが難しい場面は多々あります。
それら非言語の部分をいかに深く感じ取れるか。これは、どれだけ相手の状況や人間関係など背景を想定し、相手の立場になれるか、想像力が試されるところかもしれませんし、人によっては、センサーのように言葉のニュアンスから感情を察知しているかもしれません。(私はどちらかといえば、後者が強めです)
たとえ言語化する能力が長けていたとしても、とても魅力ある味わいある表現だったとしても、実は奥深くにある感情を掴みきれていなかったり、ポイントが少しズレたりしていれば、せっかくの言語化も意味を成しません。
言語化は確かに基本であり重要です。けれども、たとえ言語化できなかったとしても、実はコミュニケーションは取れてしまうものでもあります。
※コミュニケーションには正解がありません。ここではコミュニケーションの定義を、『相手の心や感情の状態を感じ取る関わり方』とします
例えば、悲しい思いに暮れている人がいて、気の利いた言葉を言いたくても言語化できない、としても、そっと隣に座っているだけでコミュニケーションが成立してしまう、ということもあります。
このように、受け取る側は、言語化せずとも成り立つのだしても、伝える側は、(相手の感じ取る能力に頼るのでなければ)まさに言語化が肝となるのです。さらにいえば、その一歩手前の、自分の本心をどれだけ正確に掴めるのか、、、こうなってくると、自己認識力さえも問われるわけです。
ということで、
私の考える、対人コミュニケーションに必要な三大能力は、
①非言語な部分を的確に感じ取る能力
②それを言語化する能力
③さらにその言語化したものをその場で出すか出さないか、瞬時に判断する能力
その中で、①が基本中の基本なのかなーと、私は思うのです。もちろん正解はありません。
心や感情を大切に感じ取ることを意識して、どうか対人コミュニケーションを円滑にしていただきたいと思います。ご参考まで。