ちょっと難しい話。
コーチングに、『正解のないものに、自分なりの正解を見出すこと』という側面があるのだとしたら、それは哲学にも通ずる、ということ。
自分なりの正解に辿り着くために、あらゆるロジックを組み立てて、言語化する。そのロジックがツッコミどころがないほどに完璧すぎると、それを自分が体現しているかのような、錯覚を起こしてしまうかもしれない。
クライアントの発言を、自分なりのロジックで整理し、自分のロジックに当てはまらない部分を『矛盾』とみなしてしまい、『矛盾』している相手を正そうと、『攻撃』してしまうかもしれない。その闘いに打ち勝ったとなれば、もはや、それは『論破』。
コーチングの本来の目的は、論破することでは決してない。クライアントの行こうとしている道を照らし、自力でゴールに辿り着きやすいようにサポートすること。目的がすり替わってしまわないよう、だからこそ、コーチは自分自身を客観視する視点を失ってはいけない。論破する快感に酔いしれ、承認欲求を満たしたりすることのないよう、日頃から自身を承認していられる自分でなければならない。
コーチングの基本。いつも心に。